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視差なき偶像

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※3年くらい前に書いたものの転載。

 

先日『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』(以下:劇マス)を観たのだが、それ以来何かモヤモヤして、輝きの向こうへ行ける気配が全くないので、モヤモヤをそのまま記述しておこうと思う。

 

以下、色々な作品のネタバレあり。あと、アイマスってそもそも何?的な説明は省略。

 

 そのモヤモヤというのは、恐らく私的な複数のことに由来している。最大の原因は、明らかにファンムービーであるこの映画を、ファンでもなんでもない(寧ろ「どうなのよ」と思っている)私がわざわざ観たことだろう。なので、以下に書くこに対して「観たくもないのに観て文句言ってんじゃねーよ」という至極真っ当な意見があろうことを重々承知した上で、敢えて書かれたものだと理解していただきたい。

 

劇映画としてどうなのよ?

 

さて、観終わった直後にまず思ったのは、映画として「え?これでいいの?」ということであった。上映時間は121分(も)あるのだが、内容としては完全な二部構成であり、かつ前半部と後半部の繋がりが極端に希薄なのである。ストーリーは、アリーナライブが決まったので、それに向けた合宿を行うという前半、内輪のゴタゴタを解決してライブに漕ぎ着ける後半、といった感じだ。だが、前半の合宿パートを丸々カットしても、後半のストーリーにさしたる影響があるようには見えなかった、というか影響などないだろう。1本の映画として考えるなら致命的な欠陥に思えるのだが、前述した通り劇マスはまごうことなき「ファンムービー」なのだ。ファンでもなんでもないのに「見える地雷」を勝手に踏んで、床まで踏みぬいて奈落に堕ちていった私の方に、この点は非がある。ファンである友人は、私が「これでいいのか?」と思った構成に対して、ファンにとっては「冒頭と序盤で笑って、中盤からハラハラして、ラストで泣ける良い構成」なのだと教授してくれた。ファンなら。素晴らしい言葉だ。

 

しかしこの「映画としてどうなのよ」問題は、私の抱いたモヤモヤにとって、どうやら本質ではない。劇場化したアニメ作品を、テレビという媒体の延長にある(放映されたコンテンツと連続した)一群の映画として捉えるなら、この手の問題は(良いかどうかは別にして)ありふれたものだし、アニメに限って言えば、総集編が跋扈する昨今、完全新作は寧ろ褒められるべきものなのかもしれない。

 

アイドルを扱ったものとしてどうなのよ?

 

劇マスを観た近辺で、同じくアイドルを主題とした今敏監督作品『PERFECT BLUE』(1998年)を久しぶりに観た。そのことが、モヤモヤ発生に一役買っているのではないかと思う。テレビアニメ版の『THE IDOLM@STER 』を観た時は単に「たまに作画が凄い*1けど、なんだかなぁ」としか思っていなかった私が、事前にそポテンシャルを理解していたハズなのにも関わらず変なモヤモヤを抱いてしまったのは、図らずもこの映画によって多少なりと「アイドル*2」について考えさせられたということだろう。サイコ・サスペンスである『PERFECT BLUE』と劇マス(アイマス全体を含む)を比べることは不適当なように思われるかもしれないが、しかし両者は「アイドル」を主題にしている以上、物語の差異以上に共通した構造を持っていざるを得ないのではないかと思う。

 

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PERFECT BLUE』予告

 

PERFECT BLUE』は、アイドルから女優に転身しようとしている主人公:霧越未麻が、アイドル時代には考えられなかったような過激な仕事をこなしていくうち、かつてアイドルだった自身の幻影を見始め、徐々に現実と虚構の境界が揺らいでいくというストーリーの作品である。この作品が優れているのは、演じていた本人をも含め、それぞれの登場人物が同じ「アイドル:未麻」の名の下に微妙にズレた像を見ている、といった(アイドルにとって本質的と思える)特異な「眼差」を上手く描いている点だろう。ある者は「自分の理想」を、またある者は「自分の叶えられなかった夢」を「アイドル:未麻」に投影し、またそれぞれが己の見る像こそ真の「アイドル:未麻」であると主張する。それはかつて「アイドル:未麻」であった霧越未麻本人ですら例外ではなく、ファンや周囲に眼差されていた(と思っている)「アイドル:未麻」像を見ている。『PERFECT BLUE』は、この眼差のズレこそが「アイドル:未麻」を霧越未麻から遊離した場所に存在させる(実は元々ズレていた)ことを見せつつ、そのズレから来る歪みが劇中劇と重なり合って強力なドラマを作っていた。

 

上記のように、複数方向*3から眼差される虚像こそが、「アイドル」的なものの本質(少なくともその一部)なのではないかと、『PERFECT BLUE』を観た私は考えていたのである。翻って、劇マスはどうだろうか。勿論、劇マスを『PERFECT BLUE』の様な形で描けば良いと私が思っているわけではない。商業的にもファンムービー的にも制約が多いだろうことは重々承知している*4つもりだ。しかし「アイドル」を描く以上、「眼差」の軛からは逃れられないのではないか。もし私が考えるように「眼差」が「アイドル」という装置の本質に関わるものであるとするなら、劇マス含め、そもそもアイマスにはそれが欠けている*5

 

無理矢理にでも主人公のアイドル達を追いかけるファンを描かなければならないわけではないだろうが、しかし複数のズレた「眼差」を描くには、それが一番手っ取り早いとも言える。攻撃的な週刊誌と街で握手を求めてくるファンでは、やはりどうしても「足りない」ように見えてしまう。眼差された虚像が演じる本人からすら遊離してしまう、またそうさせるような過剰さこそが面白さと狂気が同居する「アイドル」のアンビバレントな魅力なのではないか。だがアイマスにおいて、全体を通してアイドル達は終始「素」のままであり、またそれがさも良いことかのように描かれている*6。アイドルを扱う上で、これは大変勿体無いことのように思われる。繰り返しになるが、アイマスを『PERFECT BLUE』の様にすれば良いと言っているのではない。そうではなくて、「眼差」によってペルソナが遊離するような事態(それは何も負の事柄ばかりではないだろう)を描くことで、内容がより充実するのではないかと思うのだ。

 

 また、劇マスの内容に関して最も問題があるのでは?と思った点は、恐らくこの「眼差」の欠如に起因している。主人公たちをあらゆる意味で脅かす外部を排除*7した場合、ではどうやってドラマを作ればよいのか。安寧が約束された心地良い輪の外にあるモノは、登場人物達を苦しめるが、同時にドラマを動かす大きな原動力でもある。それを描かずドラマを作ろうとする時、輪の内部から生贄を差し出すことにならざるを得ない。TV版では各キャラクターが持ち回りで、劇マスでは新人のうちの1人が犠牲となっていた。つまり、毎回選ばれた輪の内側にいるキャラクターが瑕疵を負わされ、それを回復するという形でドラマが作られるのである。アイマスファンである人からすれば、勿論これらは生贄になど見えず、キャラクターの成長に見えるのかもしれない。だが、特に登場キャラクター達に思い入れのない私には、ドラマを作る為、無理矢理生贄に捧げられたようにしか見えなかった。特に劇マスではそれが構成故か顕著に見え、しかもドラマとしては弱いという、なんともしょっぱい仕上がりであった。内輪の馴れ合い(にしか見えない関係性)に制約上終始せざるを得ないとしても、これは選択として最悪の部類に入るのではないか。というか、アイマスが好きな人ほど、この歪さに眉を顰めるのではないかと思ったのだが、どうなのだろう。この生贄(に見えるもの)は、そもそもアイドルという装置が持つ歪さとは別種の「アイマスファンにとって観たくない嫌な諸々*8」を回避しようとした結果生まれた歪さだ。そして、アイマスファンである人々にはあまり問題にされていない(ように見える)ものだ。モヤモヤはこの辺りが原因かもしれない。しかしそうだとすると、「ファンなら」の壁を超えないと、このモヤモヤは解消されないのか

 

終わりに

 

結局、アイマス自体が1つの(1人の?)アイドルとして機能している、ということなのだろう。対象が生身の人間ではない分、各キャラクターをペルソナとして遊離させやすい、と捉えることもできる。一見バラエティに富んだ?キャラ配置ではあるのだろうが、それはアイマスという1つのアイドルの分節化された一部でしかないのである。そう考えるのなら、アイマスは全体として『PERFECT BLUE』が描くようなアイドルと、実は差がないことになるかもしれない。そして、アイドルという装置の残酷な側面を上手く隠蔽しているとも言えるだろう。この装置を残酷だと思う視点は、「ファンなら」の魔法で霧散してしまうので、やはりアイマスに付け入る隙*9はないだろうモヤモヤの正体は、アイドルというもの自体に対する違和感だったのかもしれない。

*1:この話にとって本質的ではないが、個人的に劇マス唯一の見所かと思っていたライブシーンの出来は、正直に言って微妙を通り越してアレであった。カメラワークとCGがねぇ劇中最も「お!」と思ったのは、矢吹可奈が袋からこぼしたプチシューを、腰を屈めて拾い集めるカットである

*2:私は、そもそも「アイドル」というパッケージには興味がない。曲やパフォーマンスの等の面白さから観たり聴いたりすることは勿論あるが、「頑張っている少女たち」の動向や関係性には興味がないのである

*3:最低限、アイドルを演じる本人とそのファン、という二方向か?

*4:本音を言えば、ファンでもない私は血も凍るようなサスペンスとして描かれてもいいとは思う。とにかく、面白くしてくれるのならなんでもいい

*5:これはアイマスに限った話ではない。アイカツラブライブも問題は同じだろう。WUG?知らん

*6:劇マス後半の決着は、まさにその「自分らしい」ことを突き通したシナリオとも言えるだろう

*7:これは、商業的要請からそのようになっているのだろう

*8:これが具体的に何を指すのか、正直よくわからない。男との恋愛とかだろうか。加齢だろうか

*9:別に付け入りたいわけではない

ビデオ戦争VHS戦線

 

VHSという媒体には言い知れないフェティッシュを感じる。

 

今から集めよう、コレクションしようというほどの根性はないけれど、VHSについてのドキュメンタリー映画が公開されれば劇場に足を運ぶくらいには興味があるし、なにより幼い頃はVHS(とベータの残骸)しかなかった世代なので、完全にオーパーツという感じもしない。

 

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VHSテープを巻き戻せ!』予告編

 

上記のドキュメンタリーを観ると、VHSが引き起こした異常なほどのバブルと狂騒、そしてその狂気に取り憑かれて狂ってしまった人々を満遍なく観ることができてとても楽しい。あと、押井守なんかも出てきて、VHSがアニメ製作の現場に導入された結果記憶力が極端に落ちた話なんかを滔々としていたりする。

 

そういえば、DVD以降のメディアから入った世代にはテープを巻き戻すという体験が存在しない(チャプターを送る、早送りする等はあるにせよ)わけで、彼ら彼女らは録画したい番組が始まったのに録画用のテープを巻き戻していなくてジリジリする「あの感じ」を知らないのかと遠い目をしてみたり。でも、今になっても別に郷愁を感じたり懐かしく思ったりするような体験でもないね。そのうち、webページの応答速度が極端に速くなって「昔はリンク踏んでもすぐにページが変わらなくて、ほんっとイライラしたんだよね」みたいなことがメディアに待たされたイライラ体験の王道になる未来が来たりするのかな。

 

個人的に、VHS体験自体にはそこまでフェティッシュな思い入れがないのは、ひとえにVHS時代の黄金期に生きていたわけではないことと、その時金を出して蒐集するような年齢でなかった(生まれてなかった)ことが関係ありそうだ。もう一度観たいなら名画座でかかるのを待つしかなかった映画とか、再放送を待つしかなかったテレビドラマなんかをいつでも好きな時に好きなだけ観られるようになった瞬間の興奮とか、体験してみたかったかな。何事も変わる瞬間が面白い。多分、黎明期を知っているもので類比させるならYouTubeの登場なんかに近いのだろう。映画の予告編を好きな時に観られるなんて今じゃ当たり前だけど、人生の3分の1くらいはそうじゃなかった時代に生きていたと思うと妙な感じがする。

 

過去の作品を観る媒体としてのVHSは、(手に入るかは別にして)未だに最強だ。とにかく、80年代は本当に、今じゃ考えられないくらいのVHSバブルが来ていて、あらゆる映像をVHS化していたらしい。だから、VHSでは観られるけどDVDBDでは観られない映画はとても多い。2年くらい前に特集上映で観た松方弘樹主演の『脱獄広島殺人囚』なんて、死ぬほど面白いのにソフト化されているのはVHSのみで、残念極まりない。BD出たら即買うのに。ラインナップを熱心に拡大しているAmazon Primeとかにレンタルでそのうち収録されたりするかもしれないけどね。輸入のDVDBOXVHSでしか出ていなかった勝新太郎の『御用牙』三部作もAmazon Primeで観られるようになった時代だから。

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『脱獄広島殺人囚』

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『御用牙』三部作

 

恐ろしいほどのバブルが来ていたってことは、名作やカルトだけじゃなくて、というかそれらを遥かに上回る圧倒的な数のどうしようもないビデオが作られて販売&レンタルされていたということでもある。ビデオ屋の棚を埋める為に内容もわからず輸入された変な映画が多数出回っていたりして、その中から珍作を探す楽しみなんかもあったのかなと。まぁきっと同時代に生きていたら面倒でそんなことしなかったんだろうけど。

 

そんな、深夜アニメどころじゃない勢いで粗製乱造されていたVHSの中でも「逆に面白い」みたいなことすらない、箸にも棒にもかからない「ゴミビデオ」だけを観て論評した本*1が出ていて、なんと著者がかの平山夢明氏(デルモンテ平山名義)なのも手伝って読んでみたけれど、噂以上。中身を読まなくても目次を見るだけで、大体察しはつくというね。まぁ、パクりであるにしろ、よくあれだけのタイトルを考えられるものだと感心もしたけど。怖いもの見たさで何作かは(観られるなら)観てみたい。

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デルモンテ平山のゴミビデオ大全』*2

 

ビデオのタイトルがオチみたいなものだからあんまり挙げるとあれだけど、

ランボージョーダン 捕虜救出作戦』

『死刑執行ウルトラクイズ おだぶつTV』

ナチス・ゾンビ 吸血機甲師団

……みたいなのはまだ工夫がある方、という惨状。

 

『ノット・クワイト・ハリウッド』みたいに、オーストラリアで作られたゲテモノ映画がハリウッド映画(というかクエンティン・タランティーノ)に影響を与えた、みたいな話もあるけど、それはまぁ気の狂ったビデオの断片を上手いこと自分の中で繋げられる(作品に昇華までできる)人の楽しみ方であって、本気で金出して買ったりしてたら笑うに笑えないだろうなぁと、ゴミビデオの山を観ていて思わずにはいられない。

 

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『ノット・クワイト・ハリウッド』予告編

 

……そのうち、邦訳の続きが出ないアメコミ*3の原書に手を出すように、VHSでしか観られない映画を片っ端から集めるようになっていそう。

 

 

*1:デルモンテ平山のゴミビデオ大全』

*2:表紙が『ビデオドローム』なのは最高

*3:『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』『トム・ストロング』『プロメテア』『ロスト・ガールズ』……アラン・ムーアばっかりだ。あと、『サーガ』の続き。絶望的だと訳者本人から聞いているけど