怒りのグルーヴ

 

There ain't no sin and there ain't no virtue. There's just stuff people do. 

              -John Steinbeck, The Grapes of Wrath

 

写真に撮られると魂を銀盤に封じ込められてしまうと明治時代の人々は信じたというが、果たしてそれがどれくらい広く信じられていたのか、そもそも本気でそう信じられていたのかは定かでない。新しいテクノロジーへの反発が常にオカルティックな言説として表出する現象は非常に興味深いことではあるけれど。写真について言えば、それこそ「魂を閉じ込める」ダゲレオタイプは現在滅びているので、代わりにフィルムvsデジタルのオカルト戦争が勃発している。曰く、フィルムで撮った写真には温かみがあり、デジタルで撮った写真は冷たく硬質で、更に芸術的価値も劣るとか。

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この争いは垂直方向にだけでなく水平方向でも展開されていて、昨今、映画界でもフィルム派とデジタル派が勢力を二分*1して真っ向から対立している。キアヌ・リーブス製作のドキュメンタリー映画『サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ』でも、映画監督、映画の編集者、撮影監督、カラリスト等映画に裏方として関わる人々にインタビューを敢行し、フィルムとデジタルのどちらが良いか、何故そう考えるのかについて聞いていて非常に興味深い答えを引き出している。仔細は省くが、テクノロジーの進化が齎すものは権力の推移である、ということがこの映画を観るとよくわかる。映画における権力とは、即ちそれがどのような映画であるかを決定する力である。表向き、そして歴史的には所謂「ファイナルカット」権を巡るプロデューサーと監督の対立があり、それは今尚続いている。確かに編集は映画製作の非常に重要なファクターだ。ただ、映画のこと画作りに関しては、監督・プロデューサーよりも撮影監督に権力があると言えるだろう。画角や撮り方を決めるのは(例外はあるものの)撮影監督だからだ。だからこそ、撮影監督にはある意味で監督・プロデューサーよりも権力があると言える。ただ、デジタル技術が進化してきた現在、映画の最終的な画作りを決めるのは監督でもプロデューサーでもなく、また撮影監督や編集者でもなくなっているという。では、誰なのかと言えば、画面の色調を調整するカラリスト*2に移っているというのが『サイド・バイ・サイド』における重要な指摘だった。テクノロジーが齎すのは、利便性ではなく、寧ろ権力の推移*3なのだ。

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言うまでもなく、この新旧テクノロジーのオカルティックな対立(厳密にはテクノロジーが齎す効果についての対立)は写真や映画だけでなく、書籍や音楽の世界でも展開されている。紙の本か電子書籍かは場合によって使い分ければよい、くらいにしか個人的には思わないけれど、趣味の問題とは関係なく、在庫・輸送・印刷のコスト&リスクを回避できる電子書籍の普及は、必然的に旧来の業界構造に深刻な影響を与えることになる。音楽に関しては、そもそもどこまでが演奏なのかとか、何が音楽として「正しい」のかという議論自体がとうの昔に破壊され尽くされているわけだけど、それでも尚芸術のイデアを信奉し、ゲーニウスに平伏す者は後を絶たない。紙の本か電子書籍かの話議論と全く同じだが、生楽器か打ち込みか、録音を流すのかオーケストラを配置するのかは、その時々に合わせればよいだけの話である。完全な趣味でもない限り経済活動を伴うのだから、当たり前の話だ。逆に、個別に定義された予算が許すのならば、贅沢にフルオーケストラで公演すればよい。パトロンを見つけて好きな音楽をやり通すのだって勿論アリだ。好きにしろ。

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ただ、音楽に関しては事情はもう少し複雑で、それは「演奏」という要素に深く関わっている。ヒップホップが革命的な音楽ジャンルだったのは、他人が作って他人が演奏した曲をそのまま使ってラップすることが(しても)単純にカッコ良かったことだろう。ひとえに、音楽を記録するメディア(レコード>CD>mp3 ?)の発展によって可能になった音楽の形態である。勿論、ヒップホップの手法は元の曲を作った/演奏した音楽家と激しい裁判を巻き起こすことになる(そして負ける)が、日時を問わず再現可能となった「演奏」は、音楽にかつてないジャンルまで生み出したのだ。その更に先にDJがある。彼らはもはや、自分で韻を踏むこともしない。他人が作って歌って記録した曲を順番に並べて流すだけ*4。これは果たして音楽なのか、DJは音楽家なのか。議論の余地なく否を唱える人が、果たして現在どのくらいの数になるのかは、かつて写真に魂が吸い込まれると信じた人々の人数と同じで、正直わからない。属しているクラスタにも依るだろう。ただ、個人的には間違いなく彼らは音楽家であると思う。そう思えないのは、まだ素晴らしいDJプレイやmixに出会っていないからに違いないと、卑怯な論法を使ってみてもいいが、そういうことは抜きにしても、音と音の間を如何に聴かせるかが音楽の枢要な美であると信じる私にとって、DJが生み出すグルーヴは紛れもないオリジナルな音楽であり、彼らは音楽家である。

 

 

*1:といっても、デジタルが圧倒的に優勢ではあるが

*2:2017年4月に公開を控える『ムーンライト』という映画は、正にカラリストによって画作りのレベルを飛躍的に高めて評価されている

*3:インターネットが齎したものは、推移というよりは拡散・霧散と呼んだ方が近いかもしれない

*4:勿論、自分で作った曲を中心にかけるDJだっている。が、ここでは敢えて完全に他人の曲だけでDJする場合を考える