イルミナエ・ファイル/明日の記録

 

今回は、エイミー・カウフマン&ジェイ・クリストフ著『イルミナエ・ファイル』を紹介します。

 

『イルミナエ・ファイル』は、ジャンルとしては所謂スペース・オペラに分類されるようなタイプのSF小説ですが、作中の文章が全てメール・チャット・報告書・監視カメラ映像の書き起こしを集めて整理した「報告書」の体裁を取っているという点が特徴的です。なので、頁の右上に注釈のメモが張られていたり、英米人の大好きな汚い言葉(主にFワード)が全て伏字になっていたりと、なかなか芸が細かい本です。

 

余談ですが、本作の作者のひとりであるジェイ・クリストフの著作には、ロータス戦記シリーズという邦訳されたスチームパンクのシリーズがあるのですが、「「ニンジャスレイヤー」の 翻訳チームが仕掛ける 和風スチームパンクの傑作!」という宣伝文句のアレさで敬遠して未読でした。本書をきっかけに、読んでみようかなと思っています。 

 

さて、ではそんな『イルミナエ・ファイル』の魅力について書いていきます。

 

 

あらすじとか

 

イルミナエ・ファイル
イルミナエ・ファイル
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エイミー・カウフマン ジェイ・クリストフ
早川書房
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ケイディが恋人エズラと別れた日、宇宙船団により彼らが住む辺境の惑星は侵攻を受けた。星際企業戦争に巻きこまれたのだ。 人々は3隻の宇宙船で脱出をはかるが、最寄りのジャンプステーションまでは半年以上航行する必要がある。いずれ追手の敵戦艦に追いつかれてしまうだろう。さらに、船内に危険なウイルスが蔓延していると判明する。そのうえ、船の人工知能が乗員に危害を加えようとしていた…… メール、チャットや軍の報告書、復元された文書ファイルでつづられた異色SF

 

 上記のあらすじからもわかる通り、作中世界は人類の版図が太陽系を超えて遥か銀河の彼方まで広がっています。また、「ジャンプステーション」という単語が示すのは、有り体に言えば宇宙船による「ワープ航法」のための要衝、即ち超光速航行スペースジャンプのための基地です。

 

 SFというジャンルでは、主に「リアル路線」と「ファンタジー路線」が双極にあり、大抵の作品が両極の間のどこかに位置します(大抵の、と書いたのは、たとえば R・A・ラファティ作品のように、何にも似ていないからとりあえず・・・・・SFに分類されているものもあるからです)。その区分で考えるなら、冒頭でも述べた通り本作はどちらかと言えば「リアル路線」に属するでしょう。ワープなんてことができるのに、「リアル」はないだろうと思われるかもしれませんが、SF = Science Fiction の“科学”の部分は必ずしも「現実の」科学を指すわけではなく、科学的推論体系一般を指す、というのが私の見解です。本作で言えば、「ワープ航法」は現在のテクノロジーから見れば科学よりは寧ろファンタジーに属するような突飛な(そして昔ながらの)空想ですが、それが現実に存在すると仮定した時、他の技術はどのような影響を受けるのか、また人間の生活や思考はどのように変わるのか/変わらないのかを描写することは、本来的な意味で「科学的」であり、また「奇跡」や「血統」に依存した展開*1ではないという点で、どちらかと言えば・・・・・・・・「リアル路線」であると分類しています。

 

 ダラダラ書いてきましたが、何に属しているかは本質的に対象の善し悪し(この場合は面白さ)とは無関係なので、あまり気にしないでください。上記は界隈に於ける一般的な議論に触れた、といった程度のことです。

 

本作の魅力

 
  本作の魅力は、一言で言ってしまえば、「エンターテインメント作品として非常によく出来ていて面白い」なのですが、それで終わってしまっては能がないので、何がどのように面白いのかをもう少し詳しく見てみます。ただ、内容に触れてネタバレをするのは気が引けますから、売りになっている部分、報告書という体裁を取っていることによって生まれている面白さについて詳述してみます。
 

1.情報を制限された形で受け取ることで生まれるシンクロニシティ

 

 本書の紹介を見ると、必ずと言っていいほど 目に入るのがこの点だと思います。即ち、膨大な記録を編纂して作成された(かのような)体裁である、ということです。このような手法は勿論本書が歴史上初めて導入したというわけではありませんが、手法の効果が物語の構造と一致しているという点で非常に評価できます。
 
 あらすじ冒頭で「ケイディが恋人エズラと別れた日、宇宙船団により彼らが住む辺境の惑星は侵攻を受けた」と書かれている部分ですが、作中人物達は皆事態を客観的に評価できるような立場(たとえば軍の司令官とか行政府の長とか)ではない(それどころか、主人公のケイディとエズラはどちらも高校生です)ので、故郷の開拓惑星が攻撃された時には何が起こったのかわからず、ただ必死に逃げ延びてなんとか生き残りました。そのため、彼等は最初「誰が何故攻撃してきたのか」とか「(知り合いの)誰が生き残っているのか」等の情報が皆無のまま、スシ詰めにされた宇宙船の中で数週間悶々と過ごしています。幸い(?)主人公のひとりであるケイディはハッキングの腕に覚えがあったので、宇宙船のネットワークをハッキングして機密情報を探りはじめて徐々に「何がどうなっているか」を知っていくのですが、それでも事態を全て把握できるには至りません。また、別の宇宙船に乗って故郷を脱出していたエズラとは限定的な手法で連絡が取れるようになりますが、情報格差と矢継ぎ早に発生する困難な状況によって全く思い通りにコトが進まないのです。
 
 上記のように、最初何もかもが上手く行かないことで、物語序盤、主人公たちは非常にナーバスになります。そして、同じく読者もナーバスになります。必要性のイマイチわからない報告書のようなものや、ティーンの独白(日記)、痛々しいチャットのようなものを延々読まされるからです。先の見えないストレスと倦怠に苛まれ、主人公たちが置かれた状況と類似した状況に読者も置かれるわけです。この時点で、ある意味究極的に安全な地位で本作に臨んでいた筈の読者は、主人公たちとはやや違った角度でこの物語に取り込まれています。即ち、本作が取っている「報告書」という体裁の受け手=被報告者と同様の立場です。この意図的なストレスが、後に非常に効いてきます。
 

2.紙上の記号でしかなかった数字が生きた人間に変わる時

 
 さて、繰り返しになりますが、本書は「事件が起きた後からかき集めた資料によって構成されている」という体裁を取っています。それは、よく考えてみれば、全ての書物が同様の体裁を取っているとも言えるでしょう。本が最後まで書かれたものである(厳密な意味をここでは追求しません)なら、読者が最初の文字を読むよりも前から既に、そこに書かれていることの全ては起こった後であるに違いないからです。では、殊更この形式をメタ的に、明示的に物語に取り込むことには、一体どのような意味があるのでしょうか。
 
 勿論効果は様々あるのですが、ひとつは前節で述べた通り、読者に意図的にストレスをかけるという効果が考えられます。事態の推移が断片的に、しかも頻繁に視点を変えて説明されることで、上下左右に揺さぶられた読者は、限定的な情報しか手に入れられない、あるいは発信することのできない作中の登場人物たちと感覚を共有することになります。それは、次に挙げる効果を最大限にバックアップすることにもつながっています。
 
 もうひとつの効果は、記号でしかないキャラクターの運命に読者を最大限感情移入させるということです。現実世界でも、ニュースを通して知る死者の数は、ただそのニュースを受容しているだけでは記号の域を出ることはありません。ですが、たとえば、エジプトで起きた爆弾テロの被害者に身近な人がいたとしたら…それは「いつもの、遠い国の、他人同士の殺し合い」ではなく、「大切な誰かを殺された」事件に変貌します。同様に、多かれ少なかれフィクションでも、登場人物たちに多少とも心を寄り添わせようと考えるなら、キャラクターの来歴や人物像を受け手にできるだけ伝えようとするでしょう。そのような効果を期待する時、本書が取っている「報告書」という体裁が存外効果的なのです。
 
 ただ、無味乾燥な報告書だけが並んでいるだけでは、やはり読者を引き込むことはできないでしょう。そうではなく、読者が最初何故読まされているかわからないような報告書だけでなく、メール、チャット、日記等によって構成された報告書だからこそ、そこに登場した何気ない人名を後で別の場所に見つけた時、ハッとさせられるのです。フザケたチャットしかしていなかったチャット相手の辿った過酷な運命に、後で・・気がつく/思い至る。この後で・・というところがポイントでしょう。かき集めた資料から構成した報告書であると明示することで、「全てが虚構」である世界の中に時間的な段差/落差のようなものを作り出しているのです。これが三人称視点で書かれた物語であったなら、読者にとって、作中の登場人物たちの運命はもう少し漠然としています。しかし、時系列に沿った報告書という体裁によって、本作では、後々各登場人物が辿る運命にピンが打たれているかのように、彼等が辿った軌跡を複数の視点で追うことができます。
 
 そして、客観的な記録を輻輳的に見せることで、多くを語らずともキャラクターの運命に読者を共感させることに成功しています。
 

3.アツさが暑苦しさに転じない

 
 これはどちらかといえば副次的な効果なのかもしれませんが、個人的には良かった点です。タイトルの通りなのですが、キャラクターの持つ熱量が、結果的に暑苦しさや鬱陶しさに転じてしまうようなことがないのも、本作の魅力だと思います。
 
 本作の主人公たち(特にケイディ)は、よく考えると異常にアツい人々です。平時だと、暑苦しすぎて咽返るような性格といえるでしょう。ただ、彼ら彼女らがそのよに振る舞っているのが何故かが(やはり客観的資料の形で)明らかになるに連れ「まぁ致し方ないな」と思わせられると同時に、物語の展開も怒涛のように、悪夢的に手に負えなくなっていくので、彼ら彼女らのアツさは、寧ろもっとアツくならないと事態を乗り越えられないのではないかと思わせられこそすれ、暑苦しいとは到底なりません。
 
 また、本作に登場するキャラクター達は、有能であっても、決して個人の限界を超えない/超えられないところが特徴的です。主人公のケイディはハッカーとして腕はそこそこ立つのですが、彼女よりも技術に優れたキャラクターは出てきますし、そのキャラクターとケイディが協力して尚打開することのできない事態にも陥ります。そんな時、命運を分けるのは、変な話ですが、最早理屈ではなく情熱と意思なのです。ここで言う情熱と意思とは、即ちアツさです。論理や技術で到達できる限界にまで来てしまったら、後はアツさでなんとかするしかないという、グレンラガンとは逆向きに回って同じ場所にたどり着いたかのような圧倒的バイタリティによって、ケイディは本作の主人公足り得ています。そのアツさは、間違いなく本作の魅力の一端を担っています。
 

最後に

 
 本記事では、『イルミナエ・ファイル』について、何か語っているようでいて、ほぼ何も語っていません。 記事でも触れている通り、序盤は「なんだこりゃ」といった感じで退屈かもしれませんが、全体の3割くらいを過ぎた辺りで物語は怒涛のような展開を見せ始め、逆にそこまでたどり着いたなら、最後まで止められずに読み切ってしまうのではないかと思います。是非ご自分でお読みになって、本作の面白さを体感していただきたいです。
 
以上です。

*1:私は、必ずしもファンタジーが「奇跡」や「血統」に依存しているとは考えていません。そういった傾向にあるとは思いますが